キャスリング 鳥羽城編

近鉄志摩線中之郷駅から北に350m、5分歩くと鳥羽城跡三の丸の入り口です。線路をはさんだ向こう側は鳥羽水族館です。

車の場合は西側の市役所側から山道を入り、本丸から一段下がった所に無料の駐車場がありました。道が狭いので気をつけて下さい。

線路沿いの三の丸からキャスリングスタートです!案内図があるので、全体像を掴みましょう。綺麗に整備され案内図も充実しています。鳥羽水族館までが城郭ラインの海城でした。

海に面した桶の山と呼ばれる所に橘氏の居館があったとされています。

1594年 織田信長、豊臣秀吉の家臣の九鬼嘉隆が鳥羽城を築城しました。長島の一向一揆や石山本願寺の戦いでは九鬼水軍を率いて、多くの戦功をあげました。木津川口の戦いでは、毛利水軍を破り、伊勢・志摩国の3万5千石を与えられました。

水軍の城らしく大手門が海側に向けられ、4カ所の水門(城郭検定2級出題)、3カ所の門がありました。

1597年 家督を子の九鬼守隆に譲りますが、1600年の関ヶ原の戦いでは、嘉隆は西軍に、守隆は東軍に属し、父子同士で戦いました。その後九鬼氏で家督争いが起こり、摂津国三田城、丹波国綾部城に異動となります。

1633年 徳川家康家臣の内藤忠重が、常陸国から鳥羽城城主となり初代鳥羽藩主となります。

三の丸広場から階段を上がると城山公園があります。北東には、九鬼嘉隆が切腹した答志島が見えます。さらに上がっていくと本丸跡です。西側を下がっていくと鳥羽市役所と家老屋敷跡があります。

1681年 土井利益が入城し、その後、松平乗邑、板倉重治、松平光慈と藩主が変わります。

野面積みの石垣から谷積みの石垣があると、違う時代で修復されたかもしれません。

1725年 稲垣昭賢が藩主となり8代続き、明治維新、廃藩置県で廃城になります。

本丸石垣は、九鬼嘉隆の時代に築かれた可能性があります。

1680年の財産目録(藩主内藤氏あたり)によれば、三層の望楼型天守だったと推定されています。天守以外にも御殿などがありましたが、最近までは、鳥羽小学校の校庭でした。

その後の発掘調査では、九鬼氏時代と思われる石垣、雨落ち溝、土蔵、御殿の遺構が見つかりました。本丸は平坦になっていますが、実際には天守台の所が高くなっていたと思われます。

御殿には、上段の間に床の間、違い棚、付書院、帳台構えなど格式の高い造りでした。

本丸発掘調査結果の案内板があります。鳥羽市役所、市民会館の隣にある家老屋敷跡にも、野面積みの石垣が見る事ができます。途中、本丸で犬の散歩をされているご婦人が「何もない所でしょ」と言われたので、「いえいえ、立派な石垣と九鬼氏の水城の造りは見どころありますよ!」と言うと、「そういうもんかねえ・・」と言われました。好きでなければ、ただの公園なのかもしれないですね。30分のキャスリングでした。



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