キャスリング 一宮城編(続日本100名城)

JR徳島線府中駅から南5.7キロ、75分歩いた所に一宮城跡があります。

車の場合は、徳島自動車道藍住インターから南に14キロ、20分ぐらいです。

県道21号線に一宮城跡の看板がありますので、細い道を入ると登城口です。

一宮神社の所に車2台ほど置けるスペースがありますので、ポストに300円入れて駐車させてもらいます。地図などありますので全体像を把握します。

続100名城スタンプは、ポストの中に入っています。時間の制約が無いのでありがたいです。

車が満車の場合は、隣が大日寺(四国八十八番札所)になっており、そこの駐車場を借りると良いと思います。もちろんお参りをしましょう。

登城口からキャスリングスタートです!

歩いて3分ほどで、神宮寺跡から経典を入れる筒が出土された地の看板があります。さらに進むと倉庫跡があり、炭化した麦などが見つかり穀物置き場と推定されています。

1338年 阿波国守護の小笠原長房の四男 小笠原長宗が、この地に居た一宮宗成を滅ぼし城郭を造り、一宮氏を名乗り支配しました。

竪堀や石垣がちらほら出てきました。

1350年 南朝方の一宮氏は、南朝方を切り崩そうとする細川頼之から攻められ和睦し、北朝方になります。

1577年 細川氏から三好氏が阿波国で台頭すると、一宮氏は三好氏と婚姻関係をむすびますが、裏切り三好氏を勝瑞城まで追い詰めました。

湧水があります。石階段や看板などはほどよく整備されています。

1582年 三好康長は高屋城の戦いで織田信長に帰順しますが、信長の四国征伐の先鋒として一宮城を奪取します。その後本能寺の変で、信長が死去すると、三好氏は京都に向かいました。

堀切があり、左手に才蔵丸があります。

三好氏が京都に行った隙に、長宗我部元親が阿波国を平定し、一宮城の南北に城を拡張させ万全の態勢をしきました。

1585年 羽柴秀吉の四国征伐では一宮城が主戦場となり、秀吉の弟の羽柴秀長が開城させました。

門跡の右には、明神丸、左には本丸があります。

まずは明神丸からです。明神丸の下の堀切をはさむと先ほどの才蔵丸です。

1585年 四国を平定した羽柴秀吉は、蜂須賀家政に阿波国を与え、一宮城に居城しました。

明神丸から東を見ると眉山が見えます。

本丸跡に向かう途中は細長い帯曲輪となっており、奥に進むと本丸があります。

現在の遺構は、蜂須賀家政が改修したものと言われています。

1586年 蜂須賀家政が徳島城を築くと、家臣の益田持正が城代となります。

石垣の石階段を上ると本丸です。天守台が無いので、天守があったかは不明です。本丸の南には礎石などが発見されているため、天守に相当する建物があったと推定されます。

徳島城と同じ緑色片岩で独特の味わいがある石垣です。本丸の奥には、釜床跡があります。

1638年 一国一城令の為に廃城となりますが、石垣は徳島城の修築用として転用されたようです。三好氏あたりの攻防は、味方になったり敵になったりと忙しい、まさに戦国の世でした。往復2キロ弱の約40分のキャスリングでした。

(おまけ)

徳島といったら徳島ラーメンです。有名店は幾つかありますが、一宮城からまだ近い方だと春陽軒がヒットしました。肉そば(大)とライス(小)セットで850円でした。甘辛の豚バラ肉が麺とライスによく合います。



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