キャスリング 玄蕃尾城編(続日本100名城)

北陸自動車道で木ノ本インターから北に12キロ、車で約15分で国道365号線、県道140号線の分岐する交差点に着きます。県道140号線に折れると、柳ヶ瀬トンネルに入ります。(狭いので信号のある交互通行です)

滋賀方面(南)から柳ヶ瀬トンネルを出るとすぐに看板があり右に曲がります。そこから玄蕃尾城跡の駐車場まで2キロです。

山道は狭いので注意して下さい。ほどなくすると行き止まりになり、無料の駐車場に着きます。車は6台ぐらい置けそうです。奥には簡易トイレと続日本100名城スタンプが置いてあります。

1583年 諸説ありますが、柴田勝家が滋賀県と福井県の県境の柳ヶ瀬山に、北国街道を整備した際に築城したと言われています。

スタンプを押し、パンフレットを頂きキャスリングスタートです!本丸跡まで20分です。

200m歩くと久々坂峠で、本丸跡まであと500mです。二股の道に分かれ、玄蕃尾城同様に、柴田勝家方の砦である行市山砦跡が右側で3.5キロ、左側で玄蕃尾城跡です。

久々坂峠は、織田軍と朝倉軍が戦った刀根坂の戦いの舞台でもあります。(一乗谷の戦い)

1583年 羽柴秀吉と柴田勝家の戦いである「賤ヶ岳の戦い」では、南に約10キロ地点で余呉湖周辺で行われました。

南虎口から郭①に入ります。郭の南西側は空堀になっています。

元々柴田勝家側には与力であった前田利家がいましたが、羽柴秀吉と親友であったため、途中で戦いから撤退します。そこをついてきた秀吉軍は追撃を行い、柴田勝家は北ノ庄城まで敗走します。

郭①と虎口郭は土橋のみでつながれており、敵を攻撃しやすいようになっています。東虎口から虎口郭に入ります。

柴田勝家は戦わずしてこの城から出ていったので、合戦当時のままに保存されている貴重なお城です。特に土塁の高さ、空堀の深さなどが当時のままに近く、定期的な草刈りで縄張りも分かりやすく整備されています。

虎口郭の北側から出ると馬出郭です。本丸の虎口で三方の横矢から攻撃できるようになっており、本丸に入る為には屈曲しているので入りにくい構造になっています。

馬出を進むと主郭になり、北東には櫓台があります。

柴田勝家の甥である佐久間盛政は敗走途中で捕えられ、羽柴秀吉から自分の家臣になるように誘いました。

織田家臣として観音寺城の戦い、大聖寺城の戦い、加賀一向一揆の鎮圧など数々の戦功をあげ、金沢城の初代城主となった佐久間盛政は「鬼玄蕃」と恐れられた人物でした。

鬼玄蕃から「玄蕃尾城」の名前になりました。別名は、「内中尾山城」です。

主郭北側の馬出と郭②の空堀と土塁です。

羽柴秀吉から家臣になるように誘われた佐久間盛政でしたが、お誘いに感謝しながらも、信長や勝家へのご恩があるので固辞しました。

北側の郭②は裏手になるので搦手郭となります。兵站基地として使われていたようです。

秀吉は誘うのを諦め、佐久間盛政に切腹を命じますが、敗軍の将として処刑される事を希望し市中引き回し後処刑されました。

主郭の東側にある張出郭です。眼下には北陸自動車道が見えます。北国街道に向かう最短ルートで一気に出撃できるようになっています。

1980年まで発見されなかったようなので、綺麗に残っている土塁、空堀は見事です。しかし、玄蕃尾城の築城主である佐久間盛政の話もなかなかの武勇です。そもそもは清州会議が発端ですが、そこの歴史を知っているとなお面白いですね。約2.5キロ、70分のキャスリングでした。

JR北陸本線余呉駅にも、続日本100名城スタンプが置いてあります。朝は8時30分からでないと駅員さんがいないのでご注意を。



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