キャスリング 国吉城編(続日本100名城)

JR小浜線美浜駅から東に2.7キロ、40分歩いた所に、国吉城歴史資料館があります。

車の場合は、舞鶴若狭自動車道若狭美浜インターから西に3.2キロ、6分ぐらいです。画像のように、国道27号線沿いに看板があります。

国吉城と資料館は併設されています。無料の駐車場があります。

まずは国吉城資料館に行って、続日本100名城スタンプとパンフレットをもらいます。入館料は、大人100円です。

資料館は、登録有形文化財の旧田辺半太夫家住宅になっています。鮮やかなベンガラ仕上げの赤壁、床の間と付書院の書院造です。広縁で紅葉をみながら熱いお茶を頂き、キャスリング前にゆっくりした時間を過ごしました。

資料館には、国吉城のジオラマがあり全体像が分かります。歴史資料など充実しており、意気込みを感じます。

もとは常国国吉(つねくにくによし)が築城し、1556年 若狭国守護大名の武田氏重臣だった粟屋勝久が改修し築城し直したと言われています。

1563年から6年間、越前国の朝倉氏から毎年攻められ、籠城戦で守り抜きました。国吉城籠城戦の動向図が分かりやすいと思います。

資料館を出ると居館跡があります。国吉城は、山頂にある山城(詰城)と、山麓にある城主居館(根古屋)で分かれています。居館跡には、土塁、石垣があります。

1570年 織田信長は、木下藤吉郎や徳川家康を伴なって、越前朝倉攻めの為に国吉城に入城しました。その時に朝倉氏からの攻撃を再三守った事に対して、粟屋勝久の武功が讃えられました。

上には、敷石遺構、礎石立建物跡があります。ここから本丸まで500mのキャスリングスタートです!

1573年 織田信長2回目の朝倉攻めの際に、粟屋勝久も参戦し朝倉氏が滅亡します。

防獣扉を開けて、階段を登ります。整備はされていますが、雨で濡れると滑りやすくなるので注意して下さい。あと300m!

1583年 若狭国に入った木村定光は、国吉城の石垣などの修築や、佐柿を城下町として整備しました。

九十九折の坂道を越えると、伝二の丸跡があります。土塁や曲輪らしき広場です。

1600年 関ヶ原の戦い後、京極高次が領主となります。

1634年 譜代大名の酒井忠勝が入封し、佐柿町奉行所(御茶屋御殿)を置きました。丹後街道の宿場町として整備しました。

本丸下まで来ました。本丸下帯曲輪段石垣です。難攻不落の国吉城は、調査の結果、土造りの城ではなく、山麓から山頂まで主要部はほぼ全部石垣でしたが、佐柿町奉行所を造った際に、徹底的に破却されました。

左の連郭曲輪群と本丸下帯曲輪との間にある堀切です。尾根続きを断ち切る事で敵を足止めさせます。石垣に使われていた墓石などの転用石もあります。堀切の両岸には橋脚礎石が発見され、橋があった事が明らかになりました。

連郭曲輪群は、奥の方まで5段の曲輪が続いています。本丸北西虎口跡から本丸に入ります。

本丸北西虎口の石垣も転用石が見られました。本丸にはミニ石垣がありました。

本丸から西を見ると美浜町の町並みや、三方五湖の一つである久々子湖が見えます。幟旗は粟屋氏家紋の「花菱に扇」です。本丸南隅には櫓台があり、城内で一番高いので天守的な建物だったのかもしれません。

本丸東虎口跡です。東虎口から続く尾根筋を降ると出城の岩出山砦があります。

居館跡まで降りてきました。居館跡最下段石垣で、武骨な野面積みです。

1864年 常陸国筑波山で挙兵した水戸天狗党は、京都を目指しますが敦賀で幕府に降伏しました。小浜藩主の酒井忠氏が、天狗党の一味を准藩士として厚遇した屋敷跡があります。往復1.8キロ、約50分のキャスリングでした。



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