キャスリング 朽木城編

JR湖西線新旭駅から西に14キロの所に、朽木谷城跡(朽木陣屋跡)があります。

車の場合は、国道161号線(湖西道路)青柳北交差点から県道23号線で西に14キロ、20分で朽木資料館の無料駐車場に着きます。陣屋跡には石垣が残されています。

1221年 承久の乱の後、佐々木氏の流れをくむ朽木氏は朽木荘の地頭職に任ぜられ、代々室町幕府の奉公衆(武官官僚)を務めました。

駐車場から奥に進むと冠木門があります。

1553年 三好長慶に京都を追われた将軍足利氏を匿うなどの補佐をしました。

1570年 織田信長が浅井長政から裏切られた金ケ崎の戦いでは、朽木元綱が敦賀から朽木に抜けて京都に戻る(朽木越え)織田信長を補佐し、信長、秀吉の家臣として朽木谷2万石を安堵されました。

1600年 関ヶ原の戦いで、朽木元綱は大谷吉継に従い西軍につきますが、小早川秀秋に呼応して東軍に寝返り、大坂の陣でも戦功をあげ、旗本になります。

旗本は領地内に、御殿、侍所、道場、馬場などのいわゆる「陣屋」を構え、明治維新で取り壊されました。

朽木元綱の三男 朽木稙綱(くつきたねつな)は、徳川家光に仕え、朽木藩1万石を与えられました。その後、下野国鹿沼藩主、常陸国土浦藩主、丹波国福知山藩と歴任していきます。

陣屋跡には、井戸や堀、石垣の一部が残されています。小さな遺構ですが、足利氏、織田信長、徳川家光の支えとなり、歴史がつまっている場所でした。20分のキャスリングでした。



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