キャスリング 北畠氏館編(続日本100名城)

JR名松線伊勢奥津駅から東に5キロの所に、北畠氏館跡があります。

車の場合は、JA三重中央やまゆり支店の前に駐車場があります。

伊勢国司の北畠氏の本拠地として、大和国と伊勢国をむすぶ伊勢本街道の要衝地に、居館と霧山城を築城しました。平常時は麓の居館の北畠氏館、有事の際には詰めの城として霧山城が機能します。

北畠神社の鳥居をくぐり、左手に曲がると北畠氏館跡になります。

右手は霧山城の登山道になっています。詳しくは霧山城編をご覧ください。

北畠氏館の庭園は、渦巻式の枯山水庭園で7代国司北畠晴具の時代で管領の細川高国が作庭したと言われています。

入園料は社務所で払い、大人300円でした。社務所に続日本100名城スタンプが置いてあります。

右側の辞世の句は、作庭者と言われる細川高国が北畠晴具に送った句です。左側は、先祖が北畠氏の家臣であった本居宣長の和歌になります。

現在の北畠神社の境内一帯が館跡とされています。上段と中段の境に石垣を築いており、入り口跡と推定されています。

花将軍と呼ばれた北畠顕家公の像があります。1333年 新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼし、後醍醐天皇の建武の新政を補佐しました。その後、足利尊氏が挙兵し、鎌倉にいた北畠顕家は滋賀県に戻り新田義貞、楠木正成と合流し、京都で尊氏を追撃する事に成功しました。

後醍醐天皇を諌めた「顕家諌奏文」は、建武の新政の問題点や役人の汚職などが書かれており、凛々しい美少年のイメージだけではなく有能な人物であった事がうかがえます。

像の左には、北畠顕能の南朝と郷土の平和を思いやる和歌の句碑があります。

平成9年の館跡調査では、15世紀前半と推定される石垣が出土し、全国で最も古い石垣とされています。川原石が使用され、水はけをよくするための栗石が使われていない初期の積み方のようです。

礎石建物跡もあり、床面積の割に柱のスパンが短く、格調高い建物であった事が推定されます。

現在は北畠神社になっており、南北朝の動乱時代を生き抜いた伊勢の覇者を祀っています。南朝の後醍醐天皇と忠臣を祀る神社の案内もあります。

北畠氏館跡だけで20分のキャスリングでした。

(おまけ)

JR名松線の終点伊勢奥津駅には、蒸気機関車に水を入れる為の給水塔が今でも残っています。ここだけ時が止まったかのようです。

松阪と名張をむすぶ為の路線として名松線と名付けられていますが、事情があったのでしょうか。



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