キャスリング 出石・有子山城編(続日本100名城)

JR山陰本線八鹿駅から北東に13キロの所に、出石・有子山城跡があります。八鹿駅から全但バスで30分です。

車の場合は、出石町駐車場、大手前駐車場などがあります。土日になると昼前には混んできます。駐車料金は、1日400円でした。

大手前駐車場の隣に出石観光センターがあり、続日本100名城スタンプが置いてあります。

お城坂と言われる稲荷神社の参道から有子山登山道に行きます。

鳥居をくぐり終えると登山口が出てきます。本丸まで980mで片道50分ぐらいです。

1574年 山名祐豊の居城だった此隅山城(有子山城から北に2キロ地点)が織田信長の家臣羽柴秀吉により落城させられた為、有子山城を築きました。

最初の500mぐらいは、岐阜城の馬の背を思い出させる急斜面です。途中で竪堀や堀切がありますので、見逃さないようにしましょう。

1580年 山名堯煕(あきひろ)の時に、再び羽柴秀吉に攻められ落城し、秀吉の弟の羽柴秀長が城主となります。羽柴秀長の命により、藤堂高虎が石垣を築きました。築城の名手の初めての石垣を築いたお城と最近判明しました。

登りはまだいいのですが、帰りがつらそうです。積雪ゾーンに入りました(登城1月5日)

1585年 羽柴秀吉家臣の前野長康が入城します。

中間地点まで来ました。ここまでくれば斜度がだいぶ緩くなります。城内の飲料水を確保していた井戸曲輪が出てきました。7段の石垣で構成されています。

1595年 小出吉政が城主となります。

本丸まで240mで最後の九十九折で本丸に着きます。ほどなくすると石垣が見えてきました。シノギ積みと呼ばれています。

主郭に行くための坂道を登ると主郭方向、千畳敷方向に分かれます。

東西42m、南北20mの主郭の石垣が見えてきました。柵などないので落ちないように注意して下さい。

主郭の石垣を登ると本丸跡です。東屋と案内板があります。ここから見る出石城町は絶景で疲れが吹き飛びました。

一旦降りて主郭石垣の横を進むと主郭よりも広大な千畳敷に行けます。その間はV字の幅28m、深さ12mの大堀切となります。

東西135m、南北50mの最大の曲輪の千畳敷です。数多くの礎石が残っており築地塀跡、庭園跡もあります。帰りはロープを掴みながらの下山です。特に雨雪で濡れている場合は、注意して下さい。

有子山城だけで往復3.3キロ、約2時間のキャスリングでした。標高321mの有子山は、山頂の本丸石垣(白い部分)と麓の出石城(白い櫓)で構成されています。

さあ気を取り直して次は出石城散策です。出石城で一番高い所が、有子山稲荷社がある稲荷曲輪です。ここで旅の安全祈願と家内安全をお祈りします。

1604年 小出吉英(よしふさ)は山麓に館(出石城)を建築し、山頂の有子山城の廃城の届けを出しました。

有子山稲荷社がは、小出吉英が城内鎮護の為に有子山城の稲荷社を分社したと言われています。

稲荷曲輪から見た本丸と二の丸です。東には山里丸があります。山里丸の石垣は、城内でも新しく算木積みや矢穴が見られます。

1615年 一国一城令により有子山城は完全に廃城となります。

稲荷曲輪から一段下がった本丸跡です。稲荷曲輪の高石垣が見もので高さ13mほどです。

小出氏の時代は9代続きました。武蔵国岩槻城から松平忠周(ただちか)が入城し、三の丸に対面所などが建設されました。

本丸には、城主御殿が造られ、隅櫓、感応殿があります。

1706年 信州上田から仙石政明が入城します。本丸にある感応殿は、仙石氏の祖、仙石秀久を祀っています。仙石秀久は、豊臣秀吉の家臣として洲本城、高松城の城主となりましたが、九州攻めで命令違反を犯し改易させられますが、小田原攻めで奮戦し信州小諸城主になりました。

仙石政明は大の蕎麦好きで上田から蕎麦職人を連れてきて蕎麦文化を広めました。出石焼きの皿に蕎麦を盛り付ける皿蕎麦を創りました。

二の丸は役所が建っており本丸の城主御殿と渡り櫓でつながれていました。二の丸から見える本丸石垣が一段下がっている部分が渡り櫓跡です。

1815年 仙石久道が自らの隠居所を造り、西御殿と呼ばれていました。久道の趣味でコウノトリが飼われていたと言われています。

現在の出石町駐車場、豊岡市出石支所には三の丸(対面所)がありました。更に北に歩くと辰鼓楼がありかつての大手門がありました。出石のシンボルですね。

(おまけ)

辰鼓楼の近くに官兵衛があり皿蕎麦を頂きました。山葵、ねぎ、山芋、卵などの薬味で様々な味を楽しめます。疲れたキャスリングの後は、美味しい出石そばで体力を回復しましょう。仙石氏に感謝!



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