キャスリング 黒井城編(続日本100名城)

JR福知山線黒井駅から西に600m、7分歩いた所に丹波市春日住民センターがあります。

車の場合は、無料駐車場があります。黒井城の続日本100名城スタンプとパンフレットが置いてあります。

黒井城の全貌や情報をここで収集していきましょう!ジオラマやパンフレットがあります。

丹波市春日住民センターから北を見ると黒井城が見えます。猪ノ口山の山頂が平になっていますね。

黒井城を登る前に、手前にある興禅寺に行きました。明智光秀の家臣、斎藤利三の娘としてお福(春日局)がここで産まれました。七間堀と高石垣の中に産湯井戸、腰掛石があります。高石垣は野面積みと切り込みハギが混在しています。

興禅寺から更に北に上がると黒井城跡登山口と駐車場があります。道は細いので車の場合は気をつけて下さい。

登山ルートは2つあります。左手がなだらかなコースです。右手の駐車場の奥の登山口が急坂コースです。駐車場は7台ぐらい置けそうでした。

駐車場脇にあるパネルには、丹波の赤鬼と恐れられた赤井直正とたびたび攻撃で落城させた明智光秀の案内があります。

左手のなだらかな登り口からキャスリングスタートです!

1334年~1338年までの建武年間に、足利尊氏に加勢した赤松貞範は、新田義貞軍と戦った功績により、丹波国春日部を与えられ築城しました。赤松氏は5代、150年に渡り統治しました。

途中から、なだらかコース、急坂コースに分かれます。大手道最大の曲輪である石踏の段が見えてきました。

1554年 荻野秋清が城主の頃、赤井直正に暗殺されます。黒井城は赤井直正に乗っ取られ、自らを悪右衛門直正と名乗ります。

1570年 赤井直正は織田信長に謁見し所領を安堵されますが。しかし1575年 山名祐豊を攻めたので、信長から明智光秀を総大将として攻められます。(第一次黒井城の戦い)

明智側の八上城の波多野秀治が寝返り、明智軍を攻め撃退させます。

本丸まで200mの所まで来ました。防獣ネットのドアを開けるともうすぐです。

1577年 第二次黒井城の戦いで明智光秀は、細川藤孝、細川忠興の援軍を得ます。

1578年 赤井直正が病死し、弟の赤井幸家が跡を継ぎます。明智光秀は、黒井城と八上城の間に金山城を築城、包囲し孤立させ開城させました。

東曲輪の石垣が見えて到着です!

南北に細長く、東曲輪から三の丸、二の丸、奥が本丸となります。

明智光秀は、家臣の斎藤利三を氷上に配置しました。しかし本能寺の変後の山崎の戦いで明智光秀が敗れ、羽柴秀吉家臣の堀尾吉晴が入城します。その後廃城となりました。

縦23m、横28mの三の丸です。

標高356mの猪ノ口山山頂に造られた本城ですが、東西北とY字形に伸びる猪ノ口山系全体に砦や曲輪が配置されています。縦19m、横40mの二の丸です。

本丸から北側を見るとすぐ下に西曲輪です。眼下に見える山頂には千丈寺砦があり、広大な山城です。本城の虎口周辺と本丸、二の丸の南面には荒々しい野面積みの石垣が配置されています。石垣は、斎藤利三、堀尾吉晴時代に築かれたと言われています。

400年間風雪に耐えた石垣に別れを告げ、帰りは急坂コースで帰ります。急坂は登りよりも下りの方がきついので、行きも帰りもなだらかコースの方が良いと思います。

階段を下りると駐車場です。最近まで知らないお城でしたが、登り甲斐のある素晴らしいお城でした。往復約2.6キロ、1時間40分のキャスリングでした。



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