キャスリング 鉢形城編(日本100名城)

JR八高線、東武東上線、秩父鉄道寄居駅から南に1.7キロ、22分歩くと鉢形城があります。

車の場合は、西に5.6キロ、12分ぐらいで着きます。広大なお城なので、所々の曲輪ごとに無料の砂利駐車場があります。

まずは一番西側の三の丸からキャスリングスタートです。

1476年 山内上杉氏の家臣の長尾景信の子、長尾景春が鉢形城を築城しました。築城した理由は、自分の弟である長尾忠景が家督を継いだ事でした。

北に荒川、南に深沢川に囲まれた断崖上の天然の要害です。断崖上は西側から東側に向けて低くなっており、西の丸が一番高い所になります。

三の丸にある復元土塀と門です。昔は畑になっており、発掘調査後に、石積み土塁や門跡、石階段、櫓などで構成された虎口が発見されました。後に北条氏は入城し、後北条氏の特徴が現れています。

三の曲輪でも一番高い所は、秩父曲輪と言われています。発掘調査では、掘立柱建物、礎石建物の跡の他に、茶道具やカワラケなども発見され、宴会や歌会が行われる空間であったと思われます。

1478年 扇谷上杉氏の太田道灌が鉢形城を攻めました。その後山内上杉氏と扇谷上杉氏の競り合いが続きます。後北条氏の特徴である角馬出があります。

1546年 北条氏康が、川越城を包囲している上杉朝定、上杉憲政を攻める「河越夜戦」が起き、北条氏が勝利した事で関東の覇権争いの構図が大きく変わっていきます。

お城北側は断崖となっており、荒川が流れています。

1564年 北条氏康の四男、北条氏邦が入城します。鉢形城は、北条氏の北関東支配の拠点になっていきます

三の丸と二の丸の境目の堀です。堀の最大幅24m、深さ12mの大規模な堀でした。堀の底には敵が堀底で動き回るのを阻止する「畝」らしき物が発見されています。

二の丸には、掘立柱建物跡、工房跡、土坑跡など鍛冶工房だった可能性があります。

三の丸の西側にある諏訪神社です。日尾城主の家臣が鉢形城に出仕した時に、信州にある諏訪神社を分祀しました。

1569年 武田信玄から攻撃され、1574年には、上杉謙信から火を放たれており、周囲からも目の上のたんこぶだった城でした。

三の丸、二の丸の東側(一段下がった所)にある本丸土塁です。

本丸土塁を上がると伝御殿曲輪です。田山花袋の碑と本丸碑があります。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐が始まり、鉢形城は、前田利家、上杉景勝、真田昌幸、浅野長吉、本多忠勝などの連合軍に包囲されました。北条氏邦の家臣、黒澤上野介が1カ月の籠城後開城しました。

開城後、徳川家康の関東異動に伴い、鉢形城には、成瀬正一、日下部定好が代官となり治めました。

荒川の対岸から見た、荒川と御殿曲輪周辺の断崖絶壁です。ここから見ると攻めるのは難しいと思ってしまいますが、そこは数の論理なんでしょう。

鉢形城の南側にある鉢形城歴史館です。ここに、続日本100名城スタンプが置いてあります。全部をじっくり見ようとすると2、3時間はかかるでしょう。三の丸、二の丸、本丸などを見ての50分のキャスリングでした。

(おまけ)

鉢形城から車で10分、花園インターに向かう国道140号線には、花園フォレストというケーキ、スイーツ、パンなどを製造販売している施設があり、見て食べて楽しい所です。そこに併設された花園蕎麦の名物大根そばを頂きました。蕎麦の風味と大根の清涼感が合う大根蕎麦で、480円とリーズナブルです。



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