キャスリング 川越城編(現存御殿4城・関東7名城・日本100名城)

JR川越線、東武東上線川越駅から北に2.5キロ、30分歩いた所に川越城があります。

車の場合は、国道254号線沿いに「あぐれっしゅ川越・市内観光共同駐車場」は無料の駐車場があります。駐車場から西に450m、歩いて6分です。

鉄道が開通するまでは、江戸と川越は新河岸川で舟運がさかんでした。新河岸川を渡ると、初雁公園野球場や市立博物館などがあります。野球場の横に、川越城の本丸御殿があります。

1457年 扇谷上杉持朝は、古河公方勢力の対抗で、家宰の太田道真、太田道灌父子に川越城築城を命じ、自らが城主となりました。又、下総のとの間には江戸城を築かせました。

現存御殿の入館料は大人100円で、様々な展示物があります。

1537年 伊豆国、相模国を支配した北条氏は、武蔵国制圧の為に、北条氏綱が江戸城、岩槻城を攻め落とした後、川越城を攻略します。

本丸御殿の鬼瓦や本丸御殿の歴史年表があります。

本丸御殿の絵図ですが、実際に残っている場所は、わずかな事が分かります。

1546年 日本三大奇襲と言われている、「河越夜戦」では、山内上杉氏、扇谷上杉氏、足利氏の連合軍が、北条氏の河越城を包囲します。しかし北条氏は、偽りの降伏文書で上杉連合軍を油断させた事で奇襲に成功し北条氏の制覇が実現していきます。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐により、前田利家が河越城を奪取しました。その後、徳川家康の関東異動により、重臣の酒井重忠が河越城に入城し、河越藩が成立します。

家老詰所では、人形が置いてあり会議をしています。議題は、品川台場の攻撃防御態勢についてです。

河越藩は、酒井氏→堀田氏→大河内松平氏→柳沢氏→秋元氏→越前松平氏→松井松平氏と続きました。江戸時代には、河越城を中心に城下町が整備されました。

1848年 越前松平氏の松平斉典により、本丸御殿が造営され、今に至っています。広間には、透かし彫りの欄間や杉戸絵があります。

実際の河越城は、本丸、二の丸、三の丸、追手曲輪、新曲輪など3つの櫓、13の門からなり32万㎡の巨大な城郭でした。広間の床の間には鎧などが展示されています。

外に出て、本丸御殿中ノ口側からの画像です。

河越城本丸御殿から西に400m、5分歩くと河越城中の門堀後があります。西側から攻めようとしても3本の堀があり直進できないようになっており、侵入しにくい構造になっています。

堀の深さは7m、幅18mとなかなかの大きさです。中ノ門の両側には土塁が築かれ、狭間を備えた土塀が建っており、厳重な態勢でした。

中ノ門からさらに西に400m歩くと川越市役所があり、川越城大手門跡になります。奥には、太田道灌像があります。河越城を築城した当初は、「道灌がかり」と言われる連郭式縄張りで独立した曲輪を連ねて、高さ二間の土塁を築き、堀を張り巡らしました。

川越は他にも喜多院や仙波東照宮など徳川ゆかりの史跡がありますので、別の機会に情報を追加したいと思います。約90分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする