キャスリング 岩村城編(日本100名城/日本三大山城)

明知鉄道線岩村駅から南東に1.6キロ、歩いて約25分、車では中央自動車道恵那インターから15キロ、25分走った所に岩村歴史資料館と岩村城登山口があります。岩村歴史資料館の駐車場は無料です。資料館には100名城スタンプがあります。

標高717mに築かれた岩村城は、日本三大山城の一つですが最も高い所にあります。

①備中松山城(岡山県)②高取城(奈良県)③岩村城(岐阜県)

さあ岩村城キャスリングスタートです!

ほどなく歩くと、岩村藩校の知新館に行けず、勉学に励み実践女子学園を創立した下田歌子女史の勉学所があります。

藤坂から傾斜がきつくなります。

1221年以降 岩村城は、源頼朝の重臣加藤景廉の長男遠山景朝が築城しました。

1570年 遠山氏の最後の城主は遠山景任です。武田氏の家臣秋山虎繁が東濃に侵攻してきて織田信長の武将明智光秀が撃退します。

1571年 遠山景任が病没します。織田信長は五男の織田勝長を遠山氏の養子とします。織田勝長は幼少である為、織田信長の叔母(おつやの方)が女城主として運営します。

1572年 武田信玄は遠江の徳川家康を攻める為に、再び秋山虎繁に岩村城の攻略を進めます。

1573年 秋山虎繁とおつやの方は結婚し岩村城は落城します。

キャスリングスタートして30分、階段状の本丸石垣が見えてきました。

1575年 長篠の戦いの後、武田氏が弱まってきたので織田信長は岩村城を陥落させます。

その際には、秋山虎繁と妻おつやの方は磔にされ悲しい最期を遂げます。その後は川尻秀隆が城主となり現在の城郭の基礎を造ります。

本丸からは駐車場(出丸広場)が見えます。ここまで車でも来れますので便利ですね。

向こうには恵那山が見えます。

1582年団忠正 その後、森忠政その際城代となった森氏家老 各務元正が近代城郭へと改造。

1599年 田丸直昌、1600年松平家乗、明治維新まで大給松平家の居城となります。

マチュピチュを彷彿させる岩村城は、様々な歴史に翻弄されたお城でした。どこのお城でもそうですが、男と女、人と人が織りなす様々なドラマがあります。

石畳で多少整備されているものの、歩きやすく底の厚い運動靴が良さそうです。往復で約80分のキャスリングでした。



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