キャスリング 諏訪原城編(続日本100名城)

JR東海道本線金谷駅から西に1.2キロ、25分歩くと諏訪原城跡があります。

車の場合は、新東名高速道路島田金谷インターから南に5.5キロ、10分走ると県道234号線沿いに、無料の見学者用駐車場があります。

1573年 武田勝頼は遠江侵攻の拠点の為、馬場信春に命じて牧之原台地に諏訪原城を築城しました。城内に諏訪大明神を祀ったことから名がついたと言われています。

諏訪原城の案内看板横には、パンフレットと続日本100名城スタンプが置いてあります。朝早くからキャスリングしたいので、こういう対応はありがたいです。

駐車場からは大手口となり、まずは大手南外堀があります。今でこそ浅い堀ですが、幅5m、深さ3.3mのV字の薬研堀です。諏訪原城を時計周りに周っていきます。

大手南外堀の西側は、茶畑になっており全貌は見えません。順路通り奥に進んでいき二の曲輪を目指します。

1575年 長篠の戦い後、諏訪原城は徳川家康に攻め落とされ、牧野城と名前を変えます。今川氏真や松平家忠が城番となりました。

南北を貫く堀を北側に歩くと大手曲輪になります。

1582年 徳川氏が武田氏の高天神城を攻め落とし、武田氏は滅亡すると、この城の必要性は無くなり、1590年頃に廃城になったとされています。

大手北外堀を越えると惣曲輪になります。

武田流築城術がふんだんに使われた諏訪原城の見どころは、この三日月堀と丸馬出です。しかし発掘調査では、徳川氏により改修された可能性が出てきました。

南北を貫く外堀の北側には、二の曲輪北馬出の復元された門があります。

南の駐車場側の大手口は平坦ですが、北側は断崖になっており自然地形をうまく利用しています。北東には富士山が見えます。

ちょっと戻って東側に進むと二の曲輪があります。

本曲輪を扇の要に例えて、江戸時代には「扇城」と呼ばれる事もありました。二の曲輪は南北315m、東西75mの城内最大の曲輪でした。二の曲輪中馬出との間は木橋でつながれていた事が確認されました。

二の曲輪から東に向かうと本曲輪なので進んでみます。南北に長い二の曲輪には仕切土塁があります。

内堀の土橋を渡ると本曲輪です。内堀もV字の薬研堀になっています。

最終拠点となる本曲輪には、武田氏時代の建物の柱穴と徳川氏時代の建物の礎石を発掘調査で確認しました。虎口部分にはL字形の枡形がありました。

東側の眼下には大井川が流れ、島田市内が見えます。断崖絶壁なっており、天然の要害となっています。東海道が城域内を通っており、要衝の地でもあります。

本曲輪の南側には、水の手曲輪になっており、石垣らしきもので堀が崩れるのを防いでいました。

丸馬出だらけなのは、贅沢ですね。二の曲輪東内馬出、東馬出があります。

三日月堀と南馬出です。馬出は、敵からの防御だけでなく、味方が出撃する為の拠点ともなります。

外堀と三日月堀に守られた諏訪神社があります。神社は崩落の為、立ち入り禁止でしたが、遠くから参拝しました。諏訪原城の名がついた由来となります。ぐるりと周って1.7キロ、35分のキャスリングでした。保存状態は本当に素晴らしく、また来たいお城です。



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