キャスリング 山中城編(日本100名城)

JR東海道線、東海道新幹線三島駅からバスで40分で山中城跡に着きます。

車の場合は、国道1号線の旧道沿いに無料の駐車場があります。グーグルマップでは、山中城(トイレ)となっていますが、駐車場もあります。

駐車場にあるお城地図で全体像を把握します。旧道南側のすりばち曲輪、岱崎出丸などは時間の関係で行けないので、北側の西の丸→本丸→二の丸ルートで周ります。

その前に、蕎麦屋さん、お土産屋さんも兼ねている観光案内所にある、日本100名城スタンプを押していきます。

三の丸堀からキャスリングスタートです!自然地形を利用した長さ180m、幅30m、深さ8mの巨大堀です。

堀沿いを進むと田尻の池があります。貯水池として機能しており、あふれると三の丸堀に排水していました。

1558年~1570年 北条氏康により小田原城の西を防衛する目的で築城されました。

西の丸跡に向かいます。元西櫓下の堀の土は曲輪を造成する為に利用されました。

盛り土だけで作られたので櫓に行く際は、堀に造られた土橋を利用しました。畝堀が見えてきました。

西の丸の西側にある畝堀です。西の丸周囲は堀などで守られ、堀の中は五本の畝で区画されています。底から2m、曲輪まで9m登る必要があります。現在は保存の為に芝生や植栽がありますが、当時はローム層(土)が露出しかなり滑りやすかったと思われます。

山中城のメインである芸術的な障子堀は、後北条氏の特徴です。また中央の区画には、水が湧きだし溜まった水は南北の堀へ排水され水堀と用水池を兼ねた構造でした。

西櫓には掘立柱の建物があり、北条氏の特徴である角馬出の機能しました。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐が始まると、豊臣秀次軍が山中城を攻撃しました。

畝の傾斜度は50~60度とかなり急峻です。人間が堀に落ちれば脱出するのは、ほぼ不可能だったと考えられています。

西側には愛鷹山、北側には富士山が見えます。今日は裾のしか見えませんでした。 四本の柱穴が検出され西櫓に渡る橋が架けられていた事が考えられています。

西の丸から本丸に移動します。

豊臣秀次が攻めてきた際に、山中城では、北条氏勝、松田康永、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊などが守りました。しかし、圧倒的な数の豊臣軍に敵わず半日で落城しました。

本丸堀まで来ました。堀に畝を造る事で貯水池の役割も果たし、逃れにくくする造りになっています。

標高583mの北の丸まで来ました。面積も広く天守櫓に近いので重要な曲輪でした。

天守は盛り土で50~70㎝高く盛られ、高櫓が建てられていたと言われています。

本丸から土橋を渡り二の丸(北条丸)に渡ります。

二の丸の箱堀から下に下がり駐車場まで戻りました。時間の関係で1.8キロ、25分のキャスリングでした。ほぼ小走りです。今度は、芝生が綺麗な季節にまたゆっくり行こうと思います。



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