キャスリング 岡豊城編(続日本100名城)

JR土讃線土佐大津駅から北に4.1キロ、55分歩くと岡豊城跡(おこうじょうあと)があります。

車の場合は、高知自動車道南国インターから南に3.6キロ、10分ぐらいで、高知県歴史民俗資料館の無料駐車場に着きます。

車窓からの岡豊城です。土佐(北)街道を曲がり、歴史民俗資料館に向かいます。

歴史民俗資料館には、広い無料駐車場があります。岡豊山歴史公園になっており、地図があるので全体像をつかみます。

歴史民俗資料館の前には、非常にカッコいい長曾我部元親像があります。私の中で、カッコいい武将像ランキングベスト3に入りました。①山形城最上義光、②江戸城楠正成、③岡豊城長曾我部元親です。

階段を上りキャスリングスタートです!岡豊城は、国分川の北にある標高97mの岡豊山に、東西に細長く築かれました。資料館から上がるとまず二ノ段があります。土塁で囲われた曲輪には、兵士が詰めていたと思われます。

築城年は明らかになっておらず、13~14世紀の築城だと推定されています。

二ノ段と詰下段に間には、堀切があります。幅3~4m、深さ約2mほどです。井戸もあり、雨水を貯めていたと思われます。

応仁の乱後、直轄領であった管領細川氏の支配力が小さくなり、有力国人の長宗我部氏が台頭してきたそうです。

詰下段の礎石建物跡です。さらに上がると詰になり、詰には期間限定の櫓があります。平成31年2月末で終了との事です。ここに、続日本100名城スタンプが置いてありました。櫓が無くなりましたら、改めて、スタンプ設置場所をご確認下さい。

詰にも礎石建物跡があり、近世城郭天守の前身ともなる二層の建物で土壁で防御力もあったそうです。櫓の中には、展示物が充実しています。

1508年 長宗我部氏の居城だった岡豊城は、他の有力国人の本山氏、山田氏、吉良氏の連合軍から攻められ落城しました。その後和睦し、長宗我部国親が城主となり岡豊城を改修したと言われています。

詰にある櫓から南の眺めです。太平洋と手前には、高知龍馬空港が見えます。東には、930年に紀貫之が土佐国府として迎えられた土佐国府跡もあります。

1574年 長宗我部国親の子、元親は、土佐一条氏の一条兼定を豊後に追放し、土佐を平定しました。

1585年 岡豊城を拠点として四国を平定しました。

詰から三ノ段に下りていきます。可愛い土塁が築かれています。

1585年 羽柴秀吉の四国征伐により、降伏し土佐一国になりました。

展望広場から見た四ノ段にある岡豊城石碑です。四ノ段から三ノ段に戻ります。

1588年 大高坂山城(高知城)に拠点を移しましたが、治水の悪さから岡豊城に戻りました。この頃、家督は四男の盛親に譲りました。

三ノ段の礎石建物跡を見ると、曲輪に目いっぱいで建蔽率が高い建物と思われます。

1590年 小田原征伐では、長宗我部水軍を率いて、下田城を小田原城を包囲しました。

1591年 桂浜近くに、浦戸城を築いて移りました。その時に岡豊城は廃城になりました。

三ノ段のポイントは、土塁の内側の野面積みの石積です。

地元の方もハイキングコースとして散歩していた歩きやすい山城でした。

1600年 関ケ原の戦いで、西軍についた長宗我部盛親は改易となりました。高知城と一緒に周ると、様々な歴史が紡がれきて現在に至る事を実感します。約40分のキャスリングでした。



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