キャスリング 甲府城(日本100名城)

JR中央本線甲府駅から南東に350m、5分歩くと甲府城跡(舞鶴城公園)があります。

車の場合、甲府城跡の南側に幾つかコインパーキングがあります。

南側の遊亀橋(ゆうきばし)からキャスリングスタートです!

城内に入ると左手に公園管理事務所があります。ここに、日本100名城スタンプが置いてあります。スタンプは他に恩賜林記念館、稲荷櫓にもあります。まず目につくのは、鍛治曲輪(自由広場)から見た天守曲輪の石垣、本丸の石垣など要塞的な感じです。

1582年 武田氏が滅亡し、織田家臣の河尻秀隆が甲府市の岩窪館に入ります。しかし本能寺の変で、川尻秀隆も殺害されます。

本丸に向かってみましょう。荒々しい黒い石垣が特長ですが、近くの丘陵や愛宕山から石材を調達しました。天守曲輪の石垣です。

1582年 本能寺の変の後、天正壬午の乱が起きました。結果として駿河、甲斐は徳川家康の領地になりました。

二の丸の石垣は丸い石です。右に曲がると、鍛治曲輪と天守曲輪・二の丸をつなぐ坂下門跡になります。

1590年 小田原征伐で北条氏が滅亡し、徳川家康は江戸に異動となりました。甲斐は豊臣秀吉の家臣が治める事になり、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政、浅野幸長により本格的に修築されました。

天守曲輪・本丸へ通じる中の門跡です。

1600年 関ケ原の戦い後、再び徳川氏の城となります。

天守曲輪から本丸に通じる鉄門です。

1603年 徳川義直(家康の九男)が城主となります。

鉄門は9時~16時30分まで無料で入れます。

1616年 徳川忠長(秀忠の二男)の駿府城の支城となります。

お城に西側になる銅門跡です。いよいよ天守台に上がります。

1661年 徳川綱重(家光の三男)が城主となります。

天守台から南を見ると富士山が見えます・

天守台から北に見えるのが愛宕山です。山の上に建物(県立科学館のプラネタリウムのドーム)この山の西側が、石垣などの石切り場になっていました。天守台から西には、オベリスクの謝恩碑が見え、さらに南アルプスが望めます。

本丸北側には本丸櫓跡があります。東側から見る天守台は、一段下がった天守曲輪から積まれているので圧巻です。

1705年 柳沢吉保が城主となります。その後直轄地となります。

北西側に周り、内松陰門です。甲府駅から一番近い門です。

その後、上野高崎藩の松平氏→相模小田原藩の大久保氏→信濃松代藩の真田氏→下総佐倉藩の堀田氏が城代となります。

北東に移動し、稲荷曲輪と稲荷櫓です。稲荷櫓の石垣には、記号が彫られた線刻画があります。

1868年 明治維新で板垣退助らが無血入城し、廃城となり破却されました。

9時から16時30分まで稲荷櫓に無料で入れます。発掘された物などが展示されており、日本100名城スタンプも置いてあります。

模型を見ると、横矢掛かりがふんだんに使われているのが分かります。下から見た稲荷櫓は地上からは、高い位置にあるのが分かります。

数寄屋曲輪下から見た高石垣です。豊臣秀吉の権威を示す為と江戸の徳川家康をけん制する為の造りでした。築城当時の野面積みで約17mの高さがあります。

武田氏館の次に周ったので、武田氏の興隆から徳川氏の統治までつながりました。約40分のキャスリングでした。

(おまけ)

甲斐といったら「ほうとう」ですね!養蚕の為の桑栽培の裏作として麦の栽培が多くなり粉物が普及したとされています。奈良多本店の天然猪ほうとうを頂きました。おいしゅうございました!



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